ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

インターネット家出 5.5日目――決めごと

 着地点も決めずに始めたこのインターネット家出ですが、そろそろゴールを設定したいと思い、今日決めました。まず、来る4月25日の午前8時に投稿される予約ツイートをしました。これはメインとサブの両方のアカウントで行い、それぞれのアカウントからの完全ログアウトを告知するものです。この25日午前8時をさしあたりのリミットとします。

 まず、このリミットまでの間に戻りたくなったらいつでも戻ってよいことにします。「ひかりちゃん」に関しては無条件に戻ってよく、「ひかり」に関しては漫画を完成させたら戻ってよい(漫画の完成が25日に間に合う必要はありません。戻るという決定が期限より前であればOKです)。その場合は予約ツイートを削除し、何食わぬ顔でこれまで通りツイッターを続けます。逆に戻る気が起きなかった場合、予約ツイートが問題無く投稿されているかを1度だけ確認し、それ以降は全面的にツイッターを禁止にします。

 これはめちゃくちゃ緩いルールです。戻るなら永遠に続けろなんてことは言いませんから、日和ったなら戻ればよいのです。25日の午前8時までに私が戻る気を起こさなかった場合にのみ、このルールは実行力をもちます。それなのに、何か重大な決定をしてしまった気がしました。いつでも取り消せる予約ツイートなのに、予約するときにはかなり緊張しました。それだけ心の奥底では戻らない方に傾いているということでしょうか。

 リアルの知り合いでない、ツイッターだけの付き合いの人たちに関しては、これはたしかに取り返しのつかないことです。絶縁とほぼ同じですから。しかしまあ、私のガチネトストであれば、「ひかりちゃん」のツイフィから私の本名を知り、そこから私のリサーチマップに辿り着き、某学会での発表でのスライドの中に記載されている私のメールアドレスに到達するでしょうから、私と連絡を取れなくなって絶望するようなガチネトストにとっては(もしいても)致命的な痛手ではないでしょう(というかそこまでせずともこのブログにコメントすればよいのです)。逆に、そこまでのネトストをする気の無い人々は、私と連絡をとれなくなっても絶望したりはしないでしょう。いる可能性はほぼ無いにもかかわらず私が毎回ガチネトストの人に配慮しているのは、私自身ツイッター絶縁にトラウマがあり、連絡手段を完全に無くすのはやめてほしいという思いが他の人に対してはあるからです。

 こんなルールを設定したからか、フォロワーたちとの楽しい思い出が走馬灯のように流れてきました。いやー、もう会えないのかー。悲しいですね。どうして私は、研究のこと、就職のこと、将来のことといったリアルなことで悩まず、ツイッターをやめるだのやめないだのといった変なことをずっと気にしているのでしょう。いい歳して――と言いたくなりますが、年齢ごとの「ふさわしい行動」を考えるというのはときに差別的になりうると思うので、自分に対してもそのようなことは言いません。

 まあ、あくまで今回の話は私が精神の安寧を得ることをゴールにしているということを忘れてはいけません。ツイッターをやめたことによって心が乱されては本末転倒です。今日設けた期限は、それだけの間ツイッターを離れて大丈夫そうなら戻るのをやめても大丈夫だろう、という、自分の心の動きをはかるための期間を取り決めるものです。