ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

分を弁えること

 最近私は「分を弁える」ということについてよく考えるようになりました。人にはそれぞれ能力や地位に応じた持ち分のようなものがあり、それがどこまでの範囲に及んでいるのかちゃんと知っておく、というのが「分を弁える」の意味だと思います。この意味での分を弁えることは大事かつ難しいなあというのがこの頃思っていることです。

 この言葉には良くないイメージもあります。たとえば「分を弁えろ!」という命令は威圧的な感じがします。お前のようなヒヨッコがでしゃばるな、といった、出る杭は打て的な雰囲気を感じるのです。この言葉が命令形で使われるとき、それは「謙虚になれ!」というお説教と同種のいやらしさを伴います。

 しかし、私が思うに、分を弁えるというのは、自分を低く見て委縮するといったことではありません。むしろ、自分が活躍するために必要とされることだと思います。また、分を弁えるというのは、「でしゃばらない」というような消極的態度だけで実現できるものでもありません。分を弁えるには積極的な努力が必要です。

 たとえば私はエンジニアとして就活をしているのですが、大学院に入ってしばらくしてようやく初めてPythonでプログラミングを始めたような私が、それも競プロを1年くらいやって一瞬だけAtCoder緑に届くのがやっとだったような私が(何のことか分からない方は読み飛ばしていただいて構いません)、技術一本で無双するというのは非現実的です。ではただの弱いプログラマーとしてそれ相応の地位に甘んじろ(「分を弁えろ!」)という話かというとそうではなくて、たとえば私は修士(文学)をもっており、哲学研究者としてアカデミズムの世界でそこそこやってきたというバックグラウンドがあります。つまり、他の多くのエンジニアには無い知識や経験が私にはあります。もちろん、そうした経験を直ちにエンジニアとしての働き方に活かせるかというと、そのお役立ち感は自明ではありません。なので、自分のバックグラウンドをどうやったら活かせるか、色々調べたり試したりして考える必要があります。自分は何が得意で、周りにはどんな能力をもった人がいて、その中で自分が活躍するには自分のどういう能力に注目すればよくて、自分の能力をどうやって活用すればよいのか、こうしたことは目を瞑って内省しても分かることではなく、いわば自分の足で調べるしかないことです。このような意味で、分を弁えるというのは積極的な努力を必要とすることだと思います。

 言い換えれば、自分の分を弁えてやっていくというのは、自分の戦うべき場所をちゃんと見定めて、自分に有利なゲームを自分から作っていくことです。単に委縮したり自分を過小評価したりするのは分を弁えることとはいえません。自分の能力を評価するにあたって自分に特権的な地位は与えられていないのです。自分の能力の評価はいわば世界の状態に依存することです。したがって、冥王星にいくつの衛星があるか知るのに世界を調べなければならないのと同様に、自分の能力について知るのにも世界を調べなければなりません。その際には周囲の観察も必要になるでしょう。自分が動いている社会の中で自分がどのポジションにいるのかを知って、どのあたりで戦えば勝てそうかを考えるというのが分を弁えるということであって、分を弁えてやっていくというのは、上のような仕方で得られた自己認識を武器に、周囲の環境を作り変えて、自分に有利な状況をどんどん生み出していくことです。

 最後に、以上のような意味で分を弁えているようなキャラクターが好きだという話をします。『テニスの王子様』をご存じない方はここで読み終わっていただいて構いません。跡部景吾という人は、幼少期をイギリスで過ごして、周りは皆彼よりも体格が良く、テニスが上手かったといいます。そういう「素質」の部分で戦っても勝てないと悟った跡部は、徹底的に対戦相手を観察し、相手の弱点を突くという戦術を磨きました。そうした努力は最終的に「氷の世界」や「跡部王国」といった技へと結実します。跡部景吾は『テニプリ』の中でも相当上位の強さをもったキャラクターだと言ってよいでしょうが、リョーマ、手塚、幸村、真田といった上位プレイヤーに比べるといまひとつ派手さに欠けます。いわゆる「無我」系の技は使えないし、光の速さで移動したりとかボールを自分の方に吸い寄せたりとかはしません。単に優れたスタミナをもって的確に相手の死角を狙っていくだけです。この点、跡部は他の上位プレイヤーがやっているような能力バトルからは少し距離を置いているように思います。それはおそらく、そうしたフィールドでは勝てないと分かっているからです。しかしそれでも卑屈になることなく、淡々と自分の勝てる領域で努力を重ね、トップ層に食らいついてゆく跡部はまさに分を弁えているという感じがします。