ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

私とヴァイオリン

 こんにちは。ひかりです。今日はヴァイオリンの話をします。最初、私がどういういきさつや環境でヴァイオリンを弾いてきたのかという話をダラダラとし、その後に、結局ヴァイオリンは上手くなれなかったけど何が良くなかったんだろう、という話をします。結論から言うとソルフェージュを頑張れということになります。基本的に暗い話です。

 私がヴァイオリンを始めたのは、あんま言いたくないのですが、3歳のときです。母が幼稚園の保護者会で知り合った方がヴァイオリンの先生で、どういうノリでかは分かりませんが、私はヴァイオリンを習わされることになりました。

 ヴァイオリンに関して私は小学校時代は一切主体性をもっていなかったので、その間の描写は飛ばします。なんか篠崎とかスズキの教本をやっていたと思います。この時代の主体性の無さはひどくて、自分が音楽をやっているという意識も一切ありませんでした。

 小6のころ「女王の教室」というドラマがやっていて、私はそのドラマのBGMが好きで、そのBGMがクラシック調だったものだったから、私は中学に上がったあたりでクラシック音楽に興味をもち始めました。モーツァルトのレクイエムから始め、いわゆる三大レクイエムなど、宗教的な合唱作品を聴くようになり、徐々にクラシックに馴染んでいきました。このあたりでふと、そういえば自分はヴァイオリンをやっていたのだったと気づきました。それでヴァイオリンを弾くモチベがだんだん上がり、音楽をやるのに主体性が出てきました。この頃はヴィヴァルディとかコレッリとかバッハを中心的に弾いていました。

 ウオー音楽やるぞーって感じのタイミングで高校に入り、高校には弦楽合奏部があったので、私はそこでヴァイオリンを弾くことにしました。部は8割が弦楽器未経験者と謳っており、私の代での経験者は私だけでした。それなので私はイニシアティヴをとる位置につくことになり、自分が執行代のときには音楽的なリーダー的なポジションにいました。

 このあたりで、「私は楽器が上手くないのでは?」と薄々思うようになりました。周りは高校から楽器を始めて、私は3歳からやっていたというのに、なんかみんなの方が上手いんですよね。リーダー的ポジションにいたというのもあり、自分が上手くないというのは心情的にも認めたくなかったし、対外的にも表立って認めるべきではなかったのですが、内心ビクビクしていました。なんとか実力を誇示しなくては、とチャイコフスキークライスラーヴィエニャフスキを弾いていましたが、弾けておらず、アピールにはなっていなかったと思います。

 大学に入っても室内楽やオケは少し続けました。しかし室内楽では周りのデキる人たちとの差を内心かなり感じ、オケにはついていけず(参加したオケがアウェーだったのもあります。ちなみにマーラーとか弾いてました)、もう20年近くやっているのに……と、かなり自信は無くなっていました。

 その後、弦楽合奏を再びやることになったのですが、このあたりで私はようやく自分の何がダメなのか気づき始めました。それまで自分が上手く弾けないのは練習回数が足りないからだとかセンスが無いからだとか思っていましたが、結論としてはソルフェージュの訓練が致命的に足りなかったのです。たとえば、自分が弾く楽譜を、固定ドでも移動ドでも良いのですが、階名で歌うということすら満足にできませんでした(歌もやっていたのにね)。

 これはまずいぞと思って階名唱と、それに必要な音感トレーニングを始めました。音感トレーニングとしては、とくにインターバル聴音に力を入れました。連続する2音を聴いて、それらの音程を答えるやつです。絶対音の聴き取りもそれなりにやりました。その後は和音聴音です。基本的な3和音(maj, min, aug, dim)の区別から始まり、それに基本的な7の和音(dom7, maj7, min7, dim7)を加え、聴いた和音がどの種類のものなのか、判別できるようにトレーニングしました。

 最低限の聴音能力が身についたところで、歌の練習を始めました。いや、合唱はやっていたのですが、発声というより、階名で正確な音程で歌う練習です。それも合唱でやるべきでは……? いや、そうなんです。実際、合唱の方でももちろん階名唱とか初見の練習はやっていました。ただ、それまでの私に無かったのは、聴音能力と譜読みを組み合わせるという視点です。「ドーファー」と歌うときに「自分はいま完全4度を歌っているぞ~! 自分が知っている完全4度はこういう音程だけど大丈夫か~?」と、何の音程を歌っているかをはっきりと意識し、出た歌声がちゃんと自分の身に着けた音感に適っているかチェックします。これでかなり音程感覚は良くなったと思います。

 こうしたトレーニングをやってしばらくして、自分のヴァイオリンの録音とか聴くと、まあピッチがひどくて聴けたもんじゃないんですね。右手の使い方とか左手の使い方とか、ヴァイオリン固有の訓練は色々受けてきたんですが、楽器を操る中の人が何が適正な音なのかよく分かっていなかったんで、運転手のいない車というか、まあそういう感じになっていたわけです。思えば私は3歳からヴァイオリンを始め、悪いピッチを厳しく矯正されずに楽器を弾き続けたので、気づけば音感はボロボロになっていたように思います。正解が分からずに練習していたという感じです。

 いや音楽ってさあピッチが正確ならいいってもんでもないでしょ、という声もあると思うのですが、私が上で述べたようなことはやはり最低限のラインなのだと思います。ここがしっかりしていないのにいくら反復練習しても付け焼刃にしかなりません。せっかく音楽理論は人並みに勉強したのに、全然演奏に活かせていなかったわけです(泣)。

 でも途中で練習の方向性を修正できたんでしょ、よかったじゃん。まあそうなんです。なんというか、聴けるヴァイオリンにはなりました。やめてくれっていう感じの音は前より出なくなりました。ただ、合奏団に所属してがむしゃらに練習していたころと違い、練習量が圧倒的に減ってしまったので、ヴァイオリン特有の技巧みたいなものは(身についていたものがひとつでもあったとして)ほとんど失ってしまいました。もうチャルダッシュとか弾けないと思います。今から技巧を身につけるには、それこそ「練習! 練習! 練習!」でしょうね。

 まあ、歌っぽいメロディをある程度綺麗に弾けるようになっただけでもだいぶハッピーエンドです。歌もうまくなった気がします(これもヴァイオリンと同様に、練習量が減ったので、発声の何らかの基礎的なところが圧倒的に衰えたはずですが)。皆さんも聴音や階名唱やりましょう。楽典も、音程名や和音の種類とかは勉強すると良いと思います。