ひかりちゃんの悲観的絵日記

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『無能なナナ』アニメ第8-9話感想

 この記事はアニメ『無能なナナ』第8-9話の感想記事です。原作のこの先の展開のネタバレはありませんが、既にアニメ化された箇所に関する原作との比較コメントは含むのでご注意ください。

 何を書こうか考えているうちにもう10話も放送されてしまいました。原作勢としては第9話が放送されないうちに第8話の感想が書きづらかったというのもあります。ここでは2話まとめて感想を書きます。

 あと形式に関してなんですが、コメンタリー形式はやっぱりやめようかなと思います。それぞれのシーンに細かくコメントできるのは良いのですが、どうも散発的な文章になり、自分が感想文を書く動機と相性が悪いと思ったからです。というわけで今回は散文式でいきます。

 第8話に関しては、「意外と進まなかったな」が一番大きな感想でした。第8話の引きは原作だと話の途中なんですよね。アニメの第8話の部分はつなぎのエピソードというか、あまり重要な話とは思っていなかったので、ずいぶんここに尺を割くんだなという印象が強かったです。予想としてはミチルがナナにカッターを突きつけるシーンで終わると思っていましたが、振り返ってみるとそれは結構きつかったのかな。原作と見比べながら視聴してみると、第8話では案外台詞のカットや簡略化が多いんですよね。単純に尺的にあそこで終わるしかなかったのかもしれない(引きは強かったし)。

 ストーリー的には、羽生・カオリ殺害編に関しては事件の詳細よりもナナの疲れの描写が個人的には好きでした。窓を開ける際のミスや、第9話における携帯の処分方法に関する迷いなど。ちょっとしたミスをしてしまったり、キョウヤとの差を感じてしまったり、楽な案に流れそうになったり、こういう、フィジカルな疲れがメンタルに影響する描写はこの手のアニメでは珍しい気がします。それでも羽生とカオリの喧嘩について聞いてから即座に今回の殺人&アリバイ工作を思いつくナナは流石だなと思いますが。

 スマホ(この作品はスマホのことを頑なに「携帯」と呼びますよね。ナナのは「端末」)でのメッセージ送信トリックについては納得いかないという声も結構見られたのですが、私としてはあまりそういう感じはしませんでした。ゾンビが日光で溶けることに関しては、第8話の冒頭でシンジに関して、日光に触れない部分の腐食が遅いという描写で情報が与えられていますし、「上手くいきすぎじゃない?」ということに関しては、そもそも失敗率の高い案であることはナナも承知で、また、最悪失敗してもそこまで痛手ではない(カオリが死ななかったりアリバイが成立しなくなるだけで、ナナが犯人だという証拠が残るわけではない)ということを考えれば、特段不自然ではないと思います(逆に第2案は証拠がもろに残ってしまうので危ない)。まあ燃やす前にスマホが発見されて指紋採取とかされたら危なかったかもしれませんが……。あと一応言っておくと、メッセージが送信されるのはゾンビが溶けてゾンビの指がスマホから離れたタイミングです。触れるタイミングを調整するという話なら無茶な感じもしますが、離れるタイミングに関してはある程度コントロールもできそうかなという気がします。ツッコミどころがあるとすれば、ゾンビの指でスマホが反応するのかということですが、これに関しては私はよく分かりません。

 まあトリックがどこまで納得いくものだったかは措くとしても、話の重点はそこにはありません。大事なのはナナが体力的にも精神的にも、殺人がバレそうになるという点でも、これまでに無いほどに追い詰められたということです。羽生・カオリ編はユウカ・シンジ編のエピローグと見るべきで、そこにおいてナナがこれほどまでに追い詰められたというのは、この大きなエピソードがこれまでのナナの殺人の中で最も困難なものを描いたものだということを表しています。その後に橘という重要キャラが登場することで、淡々と能力者を殺していくパートは山場が終わって一区切りついて、別の軸の物語が始まったという感じが出るわけですね。

 で、橘の登場以降ですが、めちゃくちゃ良かったですね。まずミチル(橘)役の中原麻衣さんの演技が良かったです。ナナのように極端に声が低くなるわけではなく、一見それほど腹黒という感じもしない声でしたが、淡々とした喋り方が強キャラ感を出していてとても合っていました。「愉快なマジシャンはショーの始めにわざと失敗して観客の傲慢を買うという」はとても好きな台詞ですが、言い方も最高でしたね。

 そして橘(橘)に関しては遊佐さんの声がイメージ通りすぎてびびります。橘はキャラとして純粋に魅力的ですね。能力者として強いだけでなく、心理戦にも長けており、物語的にも重要ポジという、属性の多いキャラです。登場から能力判明までの流れもとてもカッコよかったですね。まず「私は橘ジン」と言って出てくるシーンの唐突さが良いし、キョウヤ・ミチル・セイヤに順に変身して能力を見せつけるというのもクールです(セイヤは普段ギャグキャラっぽいですが、中身が橘だとカッコいいですね)。

 また、橘は台詞回しがいちいち面白くて好きです。「進化論だよ いつの世も生き残るのは強い者ではなく変わっていける者だ」という台詞なんか、典型的な進化論の誤用っぽいですが、その前の「私の能力を見た者は進化論を忘れメルヘンチックな童話作家を志す」という台詞を踏まえるとどっちやねんとなって、とぼけている感じがして面白いですし、橘の真の能力を考えると、橘が生き残れたのは変わっていけるからというよりやっぱり単純に強いからで、このあたりも皮肉っぽくて好きです(それを考えるとナナに自分の能力を誤解させる狙いもあったのかもしれません)。

 もうひとつ橘の台詞を取り上げると、「その様子ではたとえ子宮を引き抜かれても自分を見せまい」というものがありました。これは補足が必要で、原作だと「よくできた舌だ 苦手な質問には質問で返すように動く その様子では舌どころかたとえ子宮を引き抜かれても自分を見せまい」という台詞なんですね。ナナの舌が回るという話から、舌を引き抜く→舌どころか子宮を引き抜くという話にシフトして、子宮繋がりで「ここは先に腹を見せようか」に落ち着くという凝った台詞回しです。猟奇的な感じのするレトリックなので嫌悪感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが……。

 ラストシーンでED曲を流したのは初見時には違和感を覚えたのですが、何回か観返して、橘が死亡して終わりという風に見せかけるというミスリードだと考えると普通に合っている気がしました。ED曲の最後に「本物の人類の敵、バケモノだ」という台詞が重なって、盛り上がりもバッチリでしたね(ED曲のタイトルは「バケモノと呼ばれて」)。演出面もそうだし、ストーリー的にも「こんなに強い奴が出てきて大丈夫?」と非常に続きが気になる引きになっていたと思います。第10話も楽しみですね(といっても、この後すぐに感想を書きますが……)。