ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

友だちとの交流の仕方

 「本当に気ごころ知れた友だちなら何時間でも語り明かせる」みたいな世界観を私は受け容れていません。気ごころ知れた友だちでも8時間話し続けたら嫌になります。雑談のポテンシャルなんてそんなものだと思っていますし、人が人と交流する際には、相手が誰であれ、一定の距離感が必要だと考えています。

 なので、「飲みに行く」とか「喫茶店でお喋り」とかは、実はあまり良くない交流法だと思います。お金があれば気軽にできるので私もやりがちなのですが、できれば別の交流法で代替したいです。

 代替案は「一緒に何かをする」ということです。私自身の友だちとの交流において、ふたつほどモデルケースがあるので紹介します。第一に、私には20年来の友人がいます。いつからか忘れましたが、私たちはただお喋りをするために集まるということをしなくなりました。集まる際には必ず何かしらの企画を立てます。展覧会系の催しに行くというのが一番多いです。他にも、自転車で遠くに行くとか、ボルダリングに行くとか、YouTuberの真似をして動画を撮るとか、そういったことをやってきました。結局その流れでご飯を食べに行ったりして、最終的に雑談の時間は長くなるのですが、あくまでそれを目的とはしません。企画が思いつかないときは集まらないので、会うのは年に数回となります。

 第二に、定期的に集まる中学時代のグループがあります。これは飲み会という趣旨で集まるのですが、近況報告が終わった後にはスマホアプリで「人狼」を始めるのがお決まりになっています(「人狼」とは会話ゲームの一種です)。「人狼」以外にも別の会話系ゲーム、たとえば「ワードウルフ」をやったりします。こちらも、集まるのは年に数回です。

 両ケースとも、非常に付き合いの長い、いわゆる「気ごころ知れた友だち」との交流です。思うに、付き合いの長い相手ほど雑談というのはマンネリ化するものなので、企画を立てたりゲームをしたりして、意識的にテコ入れをしていく必要があるのです。

 だだ、もう少し頻繁に会うような友だちの場合、毎回企画を立てるというのはしんどいかもしれません。それでも、たとえばただ「飲みに行く」のではなく、「これを食べに行く」など具体的な目的を立てることなら頑張ればできるかもしれません。私自身も今のコミュニティの人たちとはなるべくそのように交流しようとしているのですが、そこまでうまくいっている気はせず、頑張らねばと思っています。

 「私たちは互いを目的として会うのではなく、共通する目的を共に成し遂げるために会うのだ」というのは私には健全な世界観に思えます。あまり共感されないので、これを地でやっていくのは難しいのですが、徐々にこのような形での交流の輪を広げたいです。