ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

子どもの頃に戻りたいか

 子どもの頃には戻りたくないです。とは言っても、現在と比べて子ども時代がめちゃくちゃ不幸だったわけではありません。楽しい思い出もたくさんあるし、今となってはできないような体験もいろいろしたというのが現在の印象です。ではなぜ戻りたくないか。それを書いていこうと思います。

 第一に、表層的なこととして、子ども時代に戻ると今持っている能力や権限の多くを失うことになります。私は日々成長しているので、能力が小学生時代に戻るのは嫌です。本当に現在がまるまる過去に戻るんなら記憶もリセットされるので嫌も何もないのではという話はさておき、心情的には「今もっているものの多くを失う」というのにはかなり抵抗があります。能力の他にも、遅い時間に出歩いてもいいとか、好き勝手に夜更かししていいとか、お酒を飲んでいいとか、そういった権限も失います。それはたいへんつらいです。

 第二に、子ども時代は何かと窮屈だったというのがあります。学校での人間関係に悩んでいる子どもに対して、「大人から見れば些細なことなんだけどね」と言う人がいますよね。つまり本当に嫌なら学校ごとき行かなければよいと。学校みたいな整備された環境の中での悩みは社会全体から見ればちっぽけなことだというわけです。しかしそれはやはり大人の立場だから言えることで、子どもには大人がもっているような様々な権限がなく、大人が当たり前にできていることをやるのが非常に困難であるという場合があります。たとえば「合わないタイプの人とは距離を置く」といったことは、今だからそれほど苦労せずにできますが、子ども時代の教室はそれが容易にできるほど風通しの良い環境ではなかったと思います。子どもの社会は互いが互いに強い関心をもっており、周囲の目を逃れて生きるのは今よりずっと大変だった記憶があります。また、「本当に嫌なら学校に行かなければいい」というのも、「学校なんていつでもやめてやる」と容易くは言えないような圧力や、それを跳ね返せないという無力感があるため、そう簡単に通る話ではなさそうです。このあたり、今の方がずっと気楽なので、子ども時代に戻ってあの閉塞感を再び引き受けるのはかなり嫌な感じがします(現在も似たような、あるいはもっとひどい閉塞感の中にいるという方もいらっしゃるとは思います)。

 また、大人のモラルに振り回され、従わされるというのも耐え難いです。何かと「失礼だよ?」と言ってくる先生がいて、礼儀やマナー教育ということだったのでしょうが、私はそれが非常に嫌いでした。大人は子どもに善い生き方を説きますが、その際の規範が時として都合よくすり替えられたり、理不尽な規範に服従させられたり、大人にとって都合が良いというだけの理屈がモラルやマナーといった形をとって振りかざされるのもかなり耐え難かったです。今となっては「いつでもこちらはお前の前で自然人に戻れるが?」という気持ちを心の支えにして何とかやっていけていますが、無力な子ども時代に戻って再びあの圧政に従うのは嫌で仕方がないです(現在も似たような、あるいはもっとひどい圧政のもとにいるという方もいらっしゃるとは思います)。

 繰り返しますが、私の子ども時代がとりわけ不幸だったわけではありません。むしろ小学校の頃を今思い返すと「輝かしい」という印象さえ受けます。しかし、その輝きの周囲には常に不気味な影があり、そうした暗さを私が常に感じていたのも事実です。そういうわけで、子ども時代は楽しかったけれど、決してあのころには戻りたくないなと思っています。