ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

「夢の元ネタは記憶」説

 夢って不思議ですよね。見たこともないような光景をすごくリアルに見ることができます。でも完全に自分の想像力?の産物というわけでもなさそうだし、夢の素材はどこからやってくるのでしょうか。

 哲学者のアンリ・ベルクソンは、夢は暴走した記憶ではないかと述べています。ベルクソンの説によると、記憶とは気まぐれなもので、隙あらば不規則な仕方で現れようとします。だけど、現在の状況に全然関係のない昔のことを思い出しまくっていると生活に支障が出るため、私たちの身体は普段記憶の喚起を抑えています。ここで睡眠時になると、覚醒時に払っているような周囲の環境への注意が弱まるため、抑えていた記憶が一気にあふれ出します。それが夢だというのです。

 たしかに、夢の内容は直近に体験した出来事や気がかりなことなどを反映しており、夢と記憶に密接なつながりがあるというのは確かそうですが、ベルクソンの言うように夢の元ネタが全部記憶だと信じられるでしょうか? 自分の見てきた夢を振り返ると、明らかに「こんな記憶知らない」というシーンもたくさんあります。たとえば私は東京都町田市の空が天まで届く巨大な樹木によって覆われる夢を見たことがあります。昨晩見た夢には、打ち首にされる直前の武士のとてもリアルな白黒写真が出てきました。これらが全て自分の記憶に源泉をもつと言えるでしょうか?

 ベルクソンの説は100年以上前のものですし、現代の心理学などで夢についてどのように考えられているか知らないので、調べずにあれこれ考えても仕方ないのでしょうが、夢の元ネタは思っている以上に記憶だと私に思わせるような出来事があったので、それだけ報告します。私はしょっちゅう金縛りにあうのですが、金縛りはそういう夢であると説明されます。よくあるパターンは、目が覚めると別の部屋から物音がして、泥棒かと思って様子を見に行ったり逃げたりしようとするのですが、身体が動かないというやつで、自分としては完全に起きているつもりなのですが、これはそういう夢なのです。ところで、私の寝床の左横には本棚があり、寝ている状態でも首を回せば並んでいる本のタイトルが見えます。ある日の金縛りで、いつものように覚醒感はあり、しかし身体は動かないという状況でした。私は左を向いて寝ていたので、目を開けるとニーチェの『この人を見よ』という著作が本棚の最下段に見えました。金縛りから、したがって夢から醒めて、本当に『この人を見よ』が本棚の最下段にあるか確認してみると、その本はそこにありました。本棚のどこにどんな本があるのか、私はそれほどちゃんとは憶えていなかったので、その夢を見る以前に「『この人を見よ』は本棚のどこにある?」と聞かれても答えられなかったと思います。しかし一度はその位置にその本があるのを見ていたはずで、その記憶が夢という場面で鮮明に蘇ったと考えるのが一番辻褄が合う気がするのです。

 それからというもの、私は一見突拍子もない夢を見ても、その元ネタには何かしらの記憶があるのではと思うようになりました。すると昨晩の武士にもかつて見た誰かしらの顔が反映されているのでしょうか。町田市を覆う巨大な樹木は?