ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

人生を誰かに代わってほしい

 皆さんは人生を誰かに代わってほしいと思ったことはありませんか? 私はしょっちゅう思っています。ラフな描像としてはこんな感じです。人間は身体と魂が結合してできている。この身体を別の魂に譲りたい。その場合、周りの人から見て私は死ぬわけではありません。私の身体はそれまでと変わらずに動いています。性格が変わったりすることもありません。新しい魂は私の性格や記憶を全て引き継ぐからです。ただ、この身体が私のものでなくなるだけです。その変化は私にとってだけの変化です。

 これは死ぬことではありません。私が死ぬと、周りの人がいろいろなリアクションをとると思います。中には困る人も出てくると思います。そういうのは嫌です。「自分が死んだ後のことなんてどうでもいいじゃないか」と言われるかもしれません。たしかにそうなのですが、私は今生きているので、自分の死後のこともいろいろ考えるポーズをする必要があるようなゲームに乗っています。「真理は人間との関わりにおいてしか意味をもたない」という人でも人類が絶滅した後の真理について考える必要があるのと同じだと思います。そこそこ長いこと人生をやってきたので、自分の死後に無頓着になるのは努力を必要としないことではなく、それはそれなりにストレスです。

 その点、魂引き継ぎなら心配は要りません。後のことは全部後継者がやってくれます。私がいなくなったところで誰も困らないし、私の夢は後継者が実現したりしなかったりしてくれて、何なら後継者が私の代わりに死んでくれます。私の痛みも喜びも責任も全部後継者が引き受けてくれるわけです。

 そんな私だけが得するような話に乗ってくれる魂はいるのか、と問われるかもしれませんが、まあいるのではないでしょうか。生きるのが好きな人は多そうです。加えて、私の人生はそれほど事故物件ではないと思うので、売りに出せば買い手は見つかるでしょう。

 ここまで書いていて、やはりむなしくなってきました。人生は誰にも代わってもらえないとよく言われますし、誰も自分の死を代わりに死んではくれないとも言います。なぜそうなっているのか分からないけど、たぶんそれは本当なのです。私が述べたような形で「人生を代わってもらう」というのは、想定として無意味です。どうやら人生とは、それを誰かに代わってもらうということが意味をなさないような類のものらしいです。完全に意味不明ですが、なぜかそうなのです。かなりヤバいと思います。怖。