ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

ブログ全体への序文

 こんにちは。ひかりちゃんです。ブログ名にもある通り、このブログはひかりちゃんの悲観的な絵日記です。絵日記は分かるとして、「悲観的」の方は説明を要するので、ブログ全体の序文にあたるこの記事でこれについて述べておきます。

 背景として言っておくべきことですが、私ひかりちゃんは非常にポジティヴで、メンタルが強い人間です。困難に直面してもその窮地で何とかやりくりする策を冷静に考えますし、普段生活していてつらい気分になることがそもそもかなり少ないです。嫌な気分になったときも、心の不調を身体の不調のように扱うことができ、どうやったら効率よく心が恢復するかを心得ています。

 こうした私の性質は基本的には良いものであり、周囲にも悪い影響はそんなに及ぼさないのですけれど、まったく害がないとは言い切れません。あまりにポジティヴな振る舞いは、それを見た、ネガティヴな気持ちになっている人を追い詰めることがあるからです。たとえば私が逆境でもニコニコと頑張っているのを見て、励まされる人もいるでしょうが、「同じ逆境でもひかりちゃんは弱音を吐かない。それに比べて自分は……」と、そこに自らを責める理由を見出してしまう人もいるでしょう。

 逆に、ネガティヴな言葉は、生産性が無いと嫌われがちですが、人々を勇気づける面ももっています。私は鬼束ちひろさんの「月光」という歌が好きなのですが、あの曲は歌詞に気楽なところが全然なく、ひたすら絶望していて、それでもなぜか勇気をもらえます。ネガティヴなこともちゃんと口にすると、共感ではないのですけれど、寄り沿えはしないがそれぞれの持ち場で頑張っていこうという気を起こさせることがあります。

 そんなわけで私は、あるときから、ポジティヴなムーヴばかりしてネガティヴなことを言わなすぎるのも良くないことかもしれないと考えるようになりました。私は言葉に関して潔癖なところがあり、ネガティヴワードを自らの言葉遣いから排斥してしまうきらいがあるのですが、それはどうも自分だけきれいなところに留まろうとする態度にも思えてきます。それが直ちに悪い態度だということにはならないはずですが、そう思えてきた以上、どうも綺麗ワードに囲まれたままでいるのは気持ちが悪い。

 ざっとこんなことを考えて、このブログでは、私の身に起きたことや私が考えたことを、なるべくネガティヴな言葉や考え方は取り除かずに報告していきたいと思います。私は根が悲観的なので、普段やっているポジティヴ補正を停止すればネガティヴな話はすらすら出てくるはずです。そうした言葉をご覧になったみなさまが少しでもお元気になってくだされば幸いです。