ひかりちゃんの悲観的絵日記

絵日記要素はあるかもしれないしないかもしれない。

インターネットの彼方へ

 こんにちは。ひかりです。最近インターネットに関して異常な精神状態を経験したので報告します。

 まず、ネットをやっていると動悸がして落ち着きません。謎の焦燥感があります。これはツイッターをやっているときでも、YouTubeを観ているときでもそうです。さらに、よく分からない被害意識があります。たとえばYouTubeを開くと色々な動画のサムネがこっちを見ていますが、そう、こっちを見ていますが、その目線が私を攻撃しているようなのです。YouTubeでよくある大げさな表情とか、クソデカ文字とか、ああいうのが全部自分を攻撃しているように思えます。YouTubeに限らず、ニコニコ動画とか、ニュースサイトとかも同じです。ツイッターもそうです。タイムラインが更新されて人のツイートが目に入ると恐怖に近い感情を覚えます。また、自分がツイートして反応が無いと、そのツイートを全員に非難されているような気がします。被害妄想といっても、具体的に誰々がこういう策謀で私を陥れようとしている的な陰謀論があるわけではなく、ただ漠然と攻撃されているような気分になるのです。その他、アニメっぽい絵を見ると焦りのような恐怖のような感情を抱いたり(これはインターネットでなくてもそうです。たとえば書店)、他の人のツイートのいいねやリツイートの数を直視できなかったりなどがあります。

 こうして文字起こししてみると結構やべぇなと自分で思うのですが、問題はどうしてこうなったのかです。おそらくこれにはツイッターが深く関係しています。私のメインのアカウント(@hikari_skrkw)はリアルの知人もネットの知人も混ざった、話題も統一されていない雑多なアカウントで、まあかなりルーズな運営がされているのですが、これのほかに私はいくつかアカウントをもっています。そして、私はサブアカウントの作成をキャラメイクに類比的なものとして捉えている節があります。ツイッターでの名前、ID、アイコン、ヘッダ画像などを念入りに準備し、リアル?の自分とは幾分違ったキャラを設定します。まあロールプレイとかなりきりとかではなく、あくまで、ネット弁慶みたいな感じでしょうか、インターネットなのでちょっとキャラ作って楽しもうみたいなノリです。高校デビューとか大学デビューとか言ったら分かりやすいですかね。自分のリアルの容姿も身分もそれまでのキャラも何も知らない人たちのところでちょっと新しい自分を作ってみよう的な。形は違えどそういうことをやってみようと思ったことのある方は少なくないんじゃないですか。まあ私はそれをツイッターアカウントを中心に割と頻繁にやるんですね。ちなみにメインアカウントの方も程度の差はあれそういうキャラ作り要素があります。そもそも「ひかりちゃん」自体それ的な経緯から生まれたキャラですからね。

 で、こうしたツイッター運営が何か私の精神に良くない影響を与えている気がします。まず、私自身が結構没入しちゃうタイプというか、インターネット人格が憑依?する感じなんですよね。脱自というか。自分がここにいないという感覚、本当にタイムライン上に存在しているみたいな。また、テレワーク中心の生活でインターネットの存在感が増しているというのもあるのでしょう。インターネットはスキマ時間にちょっと確認するといったものではもはやなく、そこに住んでいるというか、私の暮らしはそこにあって、そこでの出来事はリアルに劣らず重大だ、という感じ。いわゆるネット廃人みたいな感じではないです。いや、実際インターネット従事時間は長いのかもしれませんが、そういうことではなく、なんかインターネット上の些細なことも自分にとって重要な意味をもっているように思えてくるみたいなことです。

 この没入がどうまずいのかというと、なんか自分を制御できなくなるんですよね。リアルの私ははっきり言って心がめちゃくちゃ強くて、プレッシャーとかストレスにも耐えられがちだし、多少嫌なことや落ち込むことがあってもそういうときの対処法を知っていて、まあ自分の機嫌をとるのがうまいわけです。ところがインターネット人格の方になるとマジで些細なことで動揺しちゃうんですよね。で、これには、自分のことじゃないから重大、みたいな面があって、なんでしょう、自分が傷ついたり評判落としたりする分にはいいけどこの人がそうなるのはちょっと……ってことあるじゃないですか、それを自分のインターネット人格に対して思っている感じです。リアルの自分は傷つきなれているのだが、インターネット人格の名声に傷がつくみたいなのは割と耐え難い。一言で言えばインターネット人格は傷つきやすいということです。

 というわけで、私はインターネット人格になると防御力が途端に落ちて、普段の自分では考えられないような些細なことに揺さぶられて、そういうダメージが蓄積されていくと冒頭に書いたような異常精神状態を経験するっていうのが大まかな構図じゃないかなと思ってます。インターネット人格にとってインターネットは自分が住んでいる世界なので、その世界のあらゆるものが攻撃的に見えるというのは、まあ超繊細でインターネットの至る所で袖を引っかけて傷ついてしまう人格にとっては、仕方の無いことなのかもしれません。

 じゃあインターネットおままごとをやめるべきでは? という話になるかもしれません。昔冗談で、インターネットおままごとにしか生きがいを感じられないというようなことを述べたのですが、まあ正直インターネットおままごとは実存の問題でも何でもなく、なんかやりたくなっちゃってるバグ的なものだって認識はあるんですよね。私にインターネットをもたせると何か悪い方にインターネット人形遊びを始めるので、私語が多い生徒同士の机を話すように、私とインターネットの付き合い方も考えた方が良いのかもしれません。いやはや謎ですね。もうちょい若い頃というか多感な時期にこういう感じになるのはまだ分かるのですが、年を経るにつれて人形人格に振り回されることが多くなっている気がします。

 というわけで記事タイトルの「インターネットの彼方へ」ということなんですが、インターネットの彼方ってどこですかね? やっぱフェイスツーフェイスだってことじゃないんですよ。コミュニケーションに飢えてるわけじゃないし。人間関係のあり方の模索が問題なのではない(私はそれに関しては上手くやっていると思う)。自分が普段いる場所とかルーティンの問題なんですよね。さようなら、インターネット。ここは私のいるべき場所じゃない。ではどこへ? 誰か教えてください。